プラネタリウム100周年。進化する「地上の星」日本の特徴と未来

2025年5月7日、プラネタリウムは100歳を迎えた。「星空をつくる機械」が生まれたのはドイツ。ドイツ博物館新館の落成式でプラネタリウムが一般公開された。2023年10月に関係者への試写は行われていたが、いよいよ一般公開され、常設展示が始まったのだ。見たことのない「真昼の星」の美しさに観客たちは感動。「Wonder of Jena、イエナの驚異(イエナはプラネタリウムが作られた町の名前)」と絶賛され、人気を博した。
その情報は世界中を駆け巡る。日本も例外ではなかった。「1925年~26年に日本で発行された科学雑誌にプラネタリウムの記事が紹介されました。詳しい図解とともにプラネタリウム建設への待望が書かれ、憧れの装置となったんです」。そう語るのは、明石市立天文科学館の館長で、日本プラネタリウム協議会(JPA)のプラネタリウム100周年記念事業実行委員長を務める井上毅さんだ。JPAでは2022年から100周年を祝う多彩な事業を行ってきた(詳しくは後述)。
2023年5月の記事(欄外リンク参照)では、井上さんにドイツで近代的プラネタリウムがどのように誕生したかを詳しくお聞きした。今回は、日本のプラネタリウムの特徴と、プラネタリウム100周年事業について、プラネタリウム愛たっぷりにお話し頂いた。
東洋初のプラネタリウムは大阪に

日本にプラネタリウムが初めて設置されたのは1937年、大阪市立電気科学館だった。これは東洋初のプラネタリウムとなる。井上さんによると、漫画家の手塚治虫さんも同プラネタリウムにほれ込んだ一人で、のちに自分自身でプラネタリウムの製作まで行ったそうだ。翌年1938年には東京・有楽町の東日会館にプラネタリウムホール東日天文館が開館。大阪・東京共にドイツ・ツァイス社のツァイスII型が設置された。
だが東京のツァイスII型は第二次世界大戦の空襲で、1945年に焼失してしまう。「大阪のツァイスII型は戦災を免れ、戦後の人々を勇気づける人気の施設になりました。また、東日天文館の消失を惜しむ人々によってプラネタリウム建設が推進され1957年、渋谷に五島プラネタリウムが開館しました。この頃から、国産プラネタリウムが作られていくことになるのです」(井上さん)。
国産プラネタリウムの誕生!

井上さんは日本のプラネタリウムの特徴について、「1950年代後半、国産メーカーが登場したこと」と語る。「日本にいると当たり前に感じるかもしれませんが、これはすごいことなんです」。日本のプラネタリウムメーカーは日本世界で大きなシェアを誇るという。「国産プラネタリウムが生まれた背景には大きなきっかけがありました。まず日本が戦後の復興期にあったこと。何か新しいことができないか模索している時代でした。ちょうどその頃、人類初の人工衛星スプートニクが打ち上げられ、人々の目が宇宙に向かった。これからはプラネタリウムが人々にとって関心を呼ぶものになるだろうと」。
戦後復興期×宇宙ブームを背景に、東京や大阪のプラネタリウムに刺激を受けた人たちが「星を作る機械」を生み出そうと、プラネタリウム開発に邁進する。そして千代田光学精工(のちのミノルタ、現在のコニカミノルタ)や五藤光学が国産プラネタリウムを誕生させた。「その2社だけでなく、興和光器製作所(現・興和オプトロニクス)、西村製作所、ペンタックス、さらに個人でもプラネタリウム作りに取り組む人たちがいました。この事実は、当時の日本がプラネタリウムに大きな魅力を感じていたことの現れだと思います」。個人によるプラネタリウム開発も含め、プラネタリウム100年の歴史は井上さんの著書「星座をつくる機械 プラネタリウム100年史」(KADOKAWA)に詳しく書かれているので、ぜひ読んでほしい。
日本が世界トップに躍り出た「スペースシアター型」

ところでプラネタリウムは機械だけでなく、それを投影するドームや座席など見る環境も重要だ。「大きく分けると床が水平で天井を見上げるタイプと、映画館のように階段状になっているタイプに分けられます。映画館タイプのものをスペースシアター型と呼びますが、これが登場したのが1980年代半ば。きっかけは1981年に神戸ポートアイランドで行われた博覧会で、人気を誇ったオムニマックスシアターの登場でした」(井上さん)。オムニマックスシアターでは、巨大なスクリーンに19分間の地球旅行の映像が映し出された。
地球から星々を眺めるだけでなく、宇宙に飛び出し、宇宙から星空を眺めてみたい。そのためには恒星と惑星の投影機を分離させ、それぞれをコンピュータで制御する必要があった。五藤光学とミノルタはそれぞれ独自に開発を進め、世界初の要素技術を得た。こうしてプラネタリウムと大型映像を併用することが可能になり、「日本のプラネタリウムメーカーが世界トップレベルの技術に到達したんです」。
斜陽の時代に生まれたブレイクスルー

1980年代後半のバブル景気の頃、日本各地の自治体で最先端の機能をもつプラネタリウムが次々と建設された。だがバブルがはじけると、建設時の情熱が維持できない施設も出てきた。「そんな中、従来のプラネタリウムを変える大きな二つの出来事がありました」と井上さんは言う。
一つがデジタル式。「ドーム中央の光学式投影機から星を投影するのではなく、パソコンがモニターに描く映像を魚眼レンズでドームに映すしくみです。80年代にアメリカで生まれ、日本には90年代初めに導入されました」。井上さんによると、デジタル式では数万年にわたる星座の形の変化、銀河系旅行で見られる星座など、従来のプラネタリウムでは表現できなかったことができるようになり、革新的な変化をもたらしたという。
一方、光学式は原点に立ち返り「星をより美しく表現する」方向が追求された。ここで登場したのがプラネタリウムクリエイターの大平貴之氏だ(のちに大平技研を設立)。恒星原盤にミクロン単位で穴をあけることで、それまで数万個だった恒星の数を100倍以上に増やしたMEGASTAR(メガスター)を発表。目に見えない星まで忠実に再現することで圧倒的にリアルな星空の美しさを実現し、世界に衝撃を与えた。
「大平氏が作ったメガスターに象徴される綺麗でリアルな星空は、人々にプラネタリウムの原点を思い出させたのだと思います。各プラネタリウムメーカーによる光学式プラネタリウムの開発がすすみました」(井上さん)
プラネタリウムは多様化の時代へ
コンテンツ面ではどうだろう。2000年に入り全天周映像システムが普及すると、良質なデジタル映像作品が製作されるようになった。日本で大きな人気を博したのが映像作家KAGAYAさんの「銀河鉄道の夜」。そして上坂浩光監督による「HAYABUSA BACK TO THE EARTH」だ。

井上さんが館長を務める明石市立天文科学館では1960年にドイツから輸入したツァイスIIの発展型(カールツァイスイエナUPP23/3)が今も現役で稼働。ファンから「イエナさん」と呼ばれ、根強い人気を誇る。同館では、あえてプラネタリウムを見ながら熟睡してもらう「熟睡プラ寝たリウム」を実施、大好評で日本中に広まった。また東経135度の子午線上にあることから生み出した、時と宇宙を守るヒーロー「軌道星隊シゴセンジャー」は子供たちの人気者だ。他館でもユニークな取り組みが展開されているし、モバイルプラネタリウムで星空を届ける活動も活発化している。「プラネタリウムの可能性は星の数ほどある」(井上さん)
プラネタリウム100周年イベントーすばる望遠鏡やJAXAとタイアップ

さて、100年間にわたり進化を続けてきたプラネタリウム。今後の100年に向けて日本でも様々なイベントが行われてきた。2023年10月21日、100年前にドイツで初めてプラネタリウムの試写が行われた記念日には、ミュンヘンのドイツ博物館から日本プラネタリウム協議会の毛利勝廣理事長(当時)らが日本と結び生中継を行った。また、JAXAはやぶさ2チームとも連携し、小惑星イトカワやリュウグウのサンプルを全国のプラネタリウム館に巡回展示、講演会を行っている。
画期的だったのは、ハワイにあるすばる望遠鏡と全国25のプラネタリウムを生中継で結んだイベントだ。2024年10月19日14時(日本時間)から行われたが、ちょうどすばる望遠鏡のあるハワイ・マウナケアは19時。生中継映像に、当時話題になっていた紫金山・アトラス彗星があらわれ、日本各地の会場では大歓声があがった。
「イベントはチャレンジングでしたが、すばる望遠鏡など関係者のご協力や、現地に設置した全天カメラをプラネタリウムに即座に投影する仕組み作りにプラネタリウム関係者の大奮闘があり実現できました。25館のプラネタリウムに1900人が参加、大きな手ごたえがあり、今後同様の一斉イベントをやるためのヒントになりました」(井上さん)
プラネタリウム100周年実行委員長を務めた井上さんが個人的に印象に残ったことを改めて聞いた。「一つはプラネタリウム100年の歴史をたどる本(「星空をつくる機械 プラネタリウム100周年史」)を書いたことで、今まであまり知られてなかったけれどもすごい情熱をもってプラネタリウムを開発された日本の方々を知り、直接話をしているような気持になりました」。

「また、2024年にドイツ・ベルリンで国際プラネタリウム協会(IPS)の大会が開かれて参加させてもらったことです。最初に作られたツァイスI型は実は2つ作られて一つは今もドイツ博物館にありますが、もう一つのツァイスI型(2号機)と対面できた上に、投影を見ることができました。明石のプラネタリウムはツァイスIIの発展型ですが、星空の映った時の感じとかよく似てるんですよ。それを肌身で感じられたのはすごく大きな経験でした」

プラネタリウム100周年フィナーレイベントに参加しよう!
世界には約4000、日本には約300のプラネタリウムがあり、日本はアメリカに次ぐ世界有数のプラネタリウム大国だ。井上さんは近年の宇宙ブームで、プラネタリウム人気が上がっているのを感じるという。「プラネタリウムは星空に浸る事ができる貴重な場所です。これからもますます人々に必要な場所となるでしょう。すばる望遠鏡と全国のプラネタリウムを生中継でつないだような面白いことを今後もやっていきたいし、AIやVR技術の発展も反映したい。プラネタリウムは不思議な空間。ドーム空間をどう活用していくか、面白さの鉱脈がいっぱいある。次の100年に向けて、色々な人に想像を超えることをやってほしい」と期待する。
3年間にわたって展開されてきた、プラネタリウム100周年の全国一斉フィナーレ・イベントが5月24日(土)19時から、全国約30のプラネタリウム館をつないで行われる。目玉は日本初のプラネタリウム、大阪の電気科学館で戦前に使われていたプラネタリウム原稿の生解説。全国のプラネタリアンがリレーで解説していくという。これは楽しみ! ぜひ、お近くのプラネタリウム館に出かけて100歳をお祝いし、未来に繋げていきましょう!

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